合理的配慮が行われた背景には、障害のある当事者の方たちによる運動も大きく影響しています。

「私たちを抜きに私たちのことを決めないで」という合言葉を掲げて行われたこの運動は、単に弱者として保護され、障害のない人たちに生き方を決められるのではなく、自分たちの生き方を主体的に選んで実現したいという気持ちが込められています。

合理的配慮を行う際には、障害のある方も自分たちの人生を自ら選び歩んで行く権利があるということを大前提にするべきです。

こうした運動があって障害者権利条約が制定されたことも覚えておくと、より合理的配慮を行うことの大切さがわかるでしょう。

合理的配慮の対象である「障害者」とは誰を指すのか

合理的配慮の対象となる障害者は、「障害者差別解消法」の中で次のように定義されています。

「身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であって、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」

ここで注目すべきは、障害および社会的障壁という点です。
心身機能の障害だけでなく、社会の制度や環境が個人の生活に障害をもたらしているという、障害の社会モデルとしての考え方が反映されています。

障害の社会モデルとは

障害の社会モデルについてわかりやすく説明します。
まず、視覚に障害のある人がいたとします。

この人が電車に乗るにあたり、その駅のホームには点字ブロックや音声案内が不十分だったとします。
それによってこの人が電車に乗ることができなかった場合、それは駅の環境設備が不十分だったためであると言えます。

このように、障害を持つ個人と社会の相互作用の中で障害が発生するという考え方を、障害の社会モデルと言います。

障害を解消するための手段として挙げられるのは投薬やリハビリだけではなく、合理的配慮など社会の工夫も含まれます。

「障害者差別解消法」の中で、“法が対象とする障害者は、いわゆる障害者手帳の所持者に限られない”とある通り、社会障壁によって障害がもたらされている方も合理的配慮の対象となります。

障害者手帳を持っている、いないで配慮するかどうかを判断すれば良いというわけではありません。
また、同じ障害だからといって、すべての人に同じ配慮が求められるわけでもないのです。

一人一人、困りごとは違います。
障害手帳の有無や病名などに惑わされるのではなく、相手がどのような配慮を必要としているのかを見極めることが必要となります。

障害について、目に見えるものや医師の診断のみを基準としていた人は、これを機に考え方を改めてみてください。
一人一人の配慮によって、改善される障害もあるのです。

社会が変われば障害のある人の生きやすさも大きく変わります。
障害の社会モデルという考え方を根本において、合理的配慮を大切にしましょう。