合理的配慮という言葉の「合理的」とは一体どのような意味を含んでいるのでしょうか。
基本的な考え方としては、「必要かつ適当」な配慮です。

障害のある人に合理的配慮をするにあたって、必要以上に相手の力になろうと意気込んでしまう人も少なくありません。
しかし、それではかえって本人のためにはなりません。

合理的配慮では、あくまでも障害のある本人が主体的に自分の力を発揮することが目的なのです。
そのため、本人が望まないような必要以上の配慮は合理的とは呼べません。

例えば、緘黙症状のある子どもがいたとします。
うまく話せない症状を持つ子どもに対し、筆談を促して他人とのコミュニケーションが取れるような環境を整えるのは合理的配慮と言えるでしょう。

しかし、コミュニケーション以外の全ての場面において周りの大人が手出ししてしまうのは、過剰な配慮です。

また、成長につれて緘黙の症状がなくなったとしたら、筆談などの配慮は必要なくなるでしょう。

合理的配慮をする際には、相手がいつどのような困りごとを抱えているのかという点と、適切に配慮をするにはどうすれば良いのかという二つの点を考えましょう。

合理的配慮においては均衡を失わないことも大切

誰かに合理的配慮をすることによって、別の誰かの生活や活動に困難が生じたり大きな負担がかかってしまうという状態は、決して合理的ではありません。

このような場合、行政や事業者は配慮を断ることができます。
では、配慮が過剰かどうかをどうやって調べるかというと、「事務・事業活動への影響の程度(事務・事業の目的・内容・機能を損なうか否か)」「実現可能性の程度(物理的・技術的制約、人的・体制上の制約)」「費用・負担の程度」「事務・事業規模」「財政・財務状況」を基準として、行政や事業者が判断することとなります。

ただし、配慮が負担になるという理由で断る場合には、配慮が必要だと申し出た本人に対して断る理由を説明しなければならない義務があります。

また、できることなら別の形で実現できるようにすることが望ましいとされています。

例えば、足の不自由な児童のためにエレベーターを設置することが難しくても、その児童の教室を一階にすることなら可能でしょう。
このように、実現が難しく断った配慮も、別の形で叶えることができないかを考えることが必要となります。

合理的配慮を必要とする場合の意思表明

障害のある人が合理的配慮を受けるのは当然の権利ですが、受けるにあたって意思表明をする必要があります。
なぜなら、人それぞれ必要となる合理的配慮は異なるからです。

自分が合理的配慮を求める機関に対し、どのような困りごとがあってどう配慮してほしいか、をきちんと伝えましょう。

ただ、自分で言葉を発することが難しいという場合には、家族など代理の人が本人の代わりに意思表明をすることも可能です。

そうした介助者がいない人でも、周りから見て明らかに配慮を必要としているという場合には、積極的に声をかけることが望ましいでしょう。